司法試験期のメンタリズム

 はじめに

 司法試験は4日間(休息日も入れれば5日間)に及ぶ非常にタフな試験である。シンプルに脳と腕を酷使するし、何年も人生をかけて勉強を積んできた受験生にとっては多大な心理的負荷を伴うものである。勉強の方法論についてはたくさんの人が語っているし、それに勝るものを提示できる自信もないので、ここでは試験期間中のメンタリズムについて書いてみようと思う。

 

 メンタルの重要性

 司法試験は各科目2時間ないし3時間に及ぶ長大な試験であるが、時間的な余裕は全くと言っていいほどない。いかに速く問題を読んで論点を抽出し、答案構成をし、ありったけの事実を拾って書き殴るかという一種のスポーツといってもよいかもしれない。このような試験において仮にパニックに陥ってしまえば、それだけでその科目は大きく崩れ、数十点の損失になるおそれがある(論文の得点は素点に1.75倍されるので一つのミスは大きく響く)。参考までに、令和5年度の合格ライン付近の得点分布を軽く載せてみる。

785点 1655位

       770点 1781位(合格基準点)

755点 1906位

 このように、合格ライン付近30点に250人以上もひしめいている。はっきり言って、この層に実力差はほとんどないだろう。昨年の問題だったら、あるいは次の週が試験日だったら結果は全く違ったかもしれない。それでも、受かれば司法試験合格者であり、落ちれば絶望のもう一年だ。脅すつもりはないが、パニックになれば30点は平気で吹っ飛ぶ。「785点」側に行くためにも、試験中のメンタル制御は極めて重要である。

 

 効果があるかもしれないこと

 ここからは、メンタルを制御するために私が考えていたことを中心に為になりそうなことをあげてみる。

 ⑴言い聞かせよう

 前日や当日になればもう実力が劇的に上がることはない。とすれば、今ある実力を最大限発揮するための方法を考えるしかない。その方法の一つが「自分はできる。だいじょうぶ。」とひたすらに言い聞かせることである。何度も言い聞かせていれば自分の心がいい感じに騙されてくれるかもしれない。これは決して傲慢でも驕りでもない。「できない」と思ったって点が上がることはない。自分の心は、試験中も自分を助けてくれる唯一の存在だ。一番最後まで自分を信じてあげられるのは自分なのだ。

 

 ⑵焦った時こそペンを置け

 これは私が一番心がけていたことだ。試験開始の合図がなされても急いで青色のシールを破るのではなく、まずは深呼吸を入れる。問題が分からない、答案を書いている途中にミスに気が付いた。そんなときもいったんペンを置き、お気に入りの激甘ドリンクを口に含み、大きく息を吸う。さっき時間的余裕は皆無だと言ったじゃないかと思うかもしれない。しかし、たかが数十秒だ。焦ったままでその数十秒を思考に費やしても点数は上がらない。私は残り10分でもこれを実践した。カーレースのタイヤ交換のようなものかもしれない。それ自体はロスに見えても、不可欠でありトータルでは必ずプラスになるだろう。

 

 ⑶泣き言は吐き出そう

 本番前、あるいは本番でミスをしてしまった時は頼れる人に泣き言を吐き出してしまおう。これは⑴と矛盾するものではない。負の感情を押し込めていては言い聞かせることも難しいだろう。次以降に「自分はできる。」と言い聞かせるためのプロセスなのだ。あなたが頼りたいと思う人ならば、そんな泣き言も親身になって聞いてくれるだろう。申し訳ないと思う必要もない。終わった後に、あの時はありがとうと言えばそれで万事オーケーだ。私も民訴法で壊滅的な答案を書いてしまい、その日の夜は彼女や友人にひたすら慰めてもらった。おかげで切り替えて刑事系は良い成績を取ることができた。

 

 ⑷総合勝負だ

 司法試験は論文だけで8科目もある鬼畜な試験である。しかし、見方を変えると、ミスをしてもそれは1/8に希釈されるのだ。私は初っ端の選択科目で何も分からなくなり、試験中に「〇〇助けて」と彼女の名前を呼んだりした(キモイとか言わないで)。前述のように民訴は壊滅し、実際にF評価だった(Fは2501位以下である。論文受験が3100人ほどであり、一部戦意喪失していた者もいるであろうことも考慮すれば、ほぼ最下位答案である。)。それでも総合評価は100位台前半であった。自慢をしたいわけではなく、大きなミスをしても希釈できることは示せたと思うので、少なくとも試験が終わるまでは総合勝負と唱えて自分を上手く守ってほしい。

 

 ⑸最後まで耐えろ

 何度もいうが、司法試験は長丁場である。心身ともに大きく消耗するので4日間座っているだけでもしんどく、途中で逃げ出したくもなるだろう。しかし、次のデータを見てほしい。

 受験者数 3928人 

短答通過者 3149人(80.1%)

最終合格者 1781人(45.3%)

 これは令和5年の司法試験のデータである。単純に見ても最後まで戦えば45%受かると思えば絶望的ではないと思えるのではないか。しかし、次に示すように実質的な合格率はさらに高い。

(最終合格者)÷(短答通過者)=56.5%

論文の最低ライン点未満者 219人

(最終合格者)÷{(短答通過者)-(最低ライン点未満者)}=60.7%

  過去5年の短答通過ラインの平均は99点(得点率56.6%)であるところ、この数字は普通に努力すれば超えられる数字であり、予備に向けて対策した人などは通過前提で考えてよい(マークミスや科目単位の足切りには気を付けて)。そうすると実質的な合格率は56%にまで上がる。

 さらに、あまり話題にはならないが論文科目にも足切りが存在する。素点が25%を下回る場合に足切りをされるが、選択科目、公法系(2科目合計)、民事系(3科目合計)、刑事系(2科目合計)という単位で行われるので選択科目だけ注意すればよい。しかも、素点25%というのは下から5%以下とかのことであり、半分白紙とか全論点で明後日のことを書いたとかでない限り心配する必要はない。このような事情も考慮すると、土俵に立ち続けた人間は実質的に60%の確率で合格できるのである。

 こう考えると、最後まで力を振り絞ればなんとかなりそうだと思えるのではないだろうか。ネガティブは人は自分が「実質」の側に立てていると考えるのが難しいかもしれないが、あの会場にはどうやって受験資格を得たのか不思議に思えるほど壊滅した答案を(ほとんどの科目で)書く人や、戦意を喪失してしまっている人が一定数いるので、間違いなく「実質」の側には入っている。名のあるローの入試を突破し、必死にもがいて受験資格を得た者はそっち側に入るだけの努力はできていると保証する。

 

 さいごに

 不確定要素であるメンタルをいかにして良い方向に作用させるかについて書いてきた。あとは成功をイメージするのがよいかもしれない。受かった時の自分を想像する、お世話になった人に報告すること想像する。自分以上に合格を喜んでくれる者がいるはずだし、私にとっては、それを見た時が一番受かってよかったと思った瞬間である。

 今の司法試験は必ずいつかは受かるし、あなたを見守り、成功を信じ、成功をしたときに祝ってくれる人は必ずいる。これをたまたま読んでくれた人のことは私も信じる。そして何より自分自身が自分の一番のサポーターであってほしい。長くつらい戦いでもあなたは一人ではない。試験中ですらもだ。最後まで戦えば必ずなんとかなる。戦い抜くための参考に少しでもなれば幸いである。

在学中受験はするべきか

 実施初年度である令和5年の司法試験では、在学中受験を控えようかと悩む受験生の投稿もよく見られたが、結論からいえば勉強期間が3年目に突入しているのであれば受ける一択であろう。

 

①そもそも受けなければ受かりようがない

 在学中受験での合格率は50%を超えており、十二分に自分にもチャンスがあると思える数字である。名のあるローに通う学生ならば受ける以外の選択肢はない。

 

②失権リスクの低さ

 司法試験は5年で5回の受験制限があり、全て落ちると失権してしまう(いわゆる五振)。しかし、昨今の司法試験は合格率が上昇しており、そこそこのローに入れる学力があるならば、まず五振のリスクはないと考えてよい。したがって、早くから挑戦すべきである。

 

③軌道修正の重要性

 これがもっとも重要な理由である。結論の前提条件として勉強期間が3年目に突入していることをあげた。これはすなわち、一定以上の知識が付いており、単純に論点を知らなさすぎるから司法試験に落ちるということが考えにくくなる時期であると考える(私はローに行っていないが、友人らの話を聞くに、ローの授業や試験で要求される知識理解は司法試験で求められるよりはるかに高度なものを含んでいる。司法試験は受かるだけならば、基本論点を的確に抽出してそれに対応する事実摘示・評価をすれば余裕である。)。言い換えると、落ちる理由が論点抽出能力、事案分析力、答案の書き方によるものと強く推測されるということである。

 答案の書き方等は、一定年数勉強した者が同じように勉強を続けても1年で飛躍的に向上するようなものではない。すなわち、もう1年上積みをしてから臨もうという作戦があまり効果的ではなく、むしろ早くに受験することで自身の書き方等に問題があった場合の軌道修正を早くする必要がある。司法試験とは、最も信頼できる公式の添削だという捉え方もできるのだ。

 落ちるのが怖いから受け控えをするというのは人間として真っ当な心理ではあるが、勇気を出して受けることが早く高い確率での成功に繋がるといえよう。

公正な価格

組織再編や株式併合の際の買取請求で問題になるもの。

 

趣旨:組織再編が無かった場合の経済状況を確保するとともに、組織再編により企業価値が増加する場合にはそれを分配することで、株主に一定の利益を保障する。

 

1.組織再編により企業価値が変わらないor下落

「公正な価格」:組織再編がなければ基準時に株式が有していた価格(ナカリセバ価格)

 

2.組織再編により企業価値が増加

「公正な価格」:企業価値の増加分(シナジー)を適正に分配したならば基準時に株式が有していた価格(シナジー適正分配価格)

   Q.その算定方法は?

   ⑴当事者が互いに独立した関係にある場合

 あえて自社の株主に不利な条件で組織再編を行うとは通常考えにくい。

→取引過程に不適切な点がない限り、実際に決められた条件が、シナジーを適正に分配したものと考える。

 ⑵当事者が互いに独立していない場合

 利益相反関係にあるため、一方の株主にとって不利益な組織再編がなされるおそれがある(MBOなど)。

→ア)組織再編が、独立当事者間でなされた取引と比肩しうるような公正な手続を経ているといえる場合、実際に決められた条件を公正価格とみる。

 イ)手続が公正であるとは言い難い場合、裁判所が自ら公正な価格を算定すべき。

 

 Q.基準時は?

⑴組織再編を承認する総会決議の日

 決議日と買取請求権の行使日には一定の間隔が空く。

→株主としては、決議日以降に株価が上昇するなら市場で売却すれば良いし、下落すれば買取請求をすればよい。

 つまり、会社や他の株主の負担により、本人はプット・オプションを無償で得るのと同じ経済状態になるといえる。

⑵買取請求権の行使日(判例)

   買取請求権の行使により、当事者間に売買契約が成立したのと同様の法律関係が生じるから。

 他方で、請求権の行使日ごとに「公正な価格」の算定を行わなければならないというデメリットも。

⑶買取請求権の行使期間の満了日

 請求権行使後の株価変動のリスクを反対株主に負わせることになる。

 他方で、「公正な価格」の算定は一度で済む。また、株価変動のリスクといえども、最大20日間(※1)の変動リスクであるし、株価の上昇もあり得るのだから必ずしも不利益ではない。

(※1)株式買取請求権の行使期間は、組織再編等の効力発生日の20日前から前日まで。

預金担保貸付の処理

⑴定期預金

 定めた期間が到来するまで、預金を原則として引き出せない(そのかわり少し金利が高い)。

 

⑵定期預金の期限前払戻し

 解約とは、預金契約の解除とそれに伴う弁済であり、預金債務の弁済そのものではない(478条の場面ではなさそう)。

 しかし、定期預金契約の段階で、途中解約の場合の利息等が定められており、期限前払戻しの場合の弁済の内容が決まっている(らしい)。このような場合には、期限前払戻しは全体として478条の弁済とみる。

 

⑶(定期)預金担保貸付

 銀行が、貸付相手の預金債権を担保として(質権?)金銭を貸し付け、期日に返済がない場合には担保を実行して、貸金返還請求権と預金債権で相殺する。

 

case:A銀行は、Bに金銭を貸し付けるにあたり、B名義の定期預金債権を担保に入れた。ところが、当該預金口座は、Cが訳あってBの名前を借りているものであった。期日にBからの弁済がなかった場合、Aは、貸金返還請求権と定期預金債権を相殺できるか?

 

(a)真の債権者と債権の対立

 まず、定期預金の債権者(預金者)は誰であるか?

→出捐者を債権者とする(この場合C)

 よって、AとBに債権の対立がなく、相殺不可。

(b)478条の適用

 Aの相殺に対する期待を保護したい。

 定期預金債権の相殺は、定期預金の期限前払戻しと同視できる。すなわち弁済と同視できる。よって478条類推適用。

 銀行側の善意・無過失の基準時は、預金担保貸付時となる(担保的機能への期待ゆえに貸付を行うから)。

別件逮捕・勾留

⑴別件基準説

 別件が逮捕・勾留の要件を満たしていれば適法とする。

 ※逮捕状の請求書には書かれていない捜査官の本件の捜査意図を、令状裁判官が見抜くのは無理だから。

 

⑵本件基準説

 別件が形式的に逮捕・勾留の要件を満たしていても、捜査官が主として本件捜査の意図を有している場合には違法とする。

 ※厳格な身体拘束期間の制限の重視。別件基準説は令状主義の潜脱。

 

⑶実体喪失説(実務?)

 別件を理由とする身体拘束期間が専ら本件の捜査のために利用され、別件逮捕・勾留としての実体を喪失するに至った時点で違法。

   ※本件基準説は、当該身体拘束の初めから違法なのに対して、実体喪失説は、実体を喪失した段階以降の身体拘束が違法となる。実体喪失の検討で、捜査官の意図も考慮要素となるが、証拠から事後的に評価するものであり、本件基準説への批判とは矛盾しない。

  

詐欺罪の処理

・処分行為が明らかな事例

ex.他人名義のクレカで支払って商品の交付を得た事例

 「欺」くとは、交付の判断の基礎となる重要な事項を偽る行為、として、名義を偽ることの評価をする。

 

・処分行為が明らかでない事例

ex.店員に試着の許可をもらい、そのままこっそり着て帰ったような事例

 「欺」罔行為といえるには、それが処分行為に向けられたものであることを要する、として、処分行為の有無の検討をする。

 つまり、相手方の行為が、財物の占有(利益)の終局的な移転となるものであり、そのことを相手方が認識していたか(処分意思)。

 この事例では、試着の許可は占有の弛緩に過ぎず、処分行為とはいえないし、着て帰る意図を秘して試着の許可を申し出たことは「欺」罔行為には当たらない。

自白法則と排除法則

 

・自白法則と違法収集証拠排除法則の関係

 

 自白法則(319条1項)は、不任意自白は虚偽のおそれが高く信用性に欠くとして、証拠能力を否定するものである。したがって、類型的にみて虚偽自白を誘発する状況で得られた自白は、同項により証拠能力が否定される。

 他方、違法収集証拠排除法則は、適正手続の要請(憲法31条)、司法の廉潔性、将来の違法捜査抑止の観点から、一定の証拠につきその証拠能力を否定するものであるところ、かかる趣旨は自白においても妥当する。したがって、自白にも違法収集証拠排除法則は適用されるべきである。

 両者の適用のあり方については、319条1項の列挙事由や任意性に疑いのある自白(虚偽自白)については自白法則を検討し、それ以外で証拠能力が問題になる場合について違法収集証拠排除法則を検討すべきである。また、検討順序については、明文の規定のある自白法則からとする。

 

 なお、虚偽排除説(任意性説)を採用すると、不任意自白の派生証拠の証拠能力を否定するにあたり、同説は否定の直接の根拠にならない(その自白の通りに証拠が発見されれば、結果的に自白は真実だったのだから)。そこで、虚偽の自白を誘発するような状況の抑止を徹底すべく、派生証拠も証拠能力を否定すべきという理屈でいく。